
天国の話の前に、まずは現世の意味からお話しますね。
私たちが、現世でいろいろな経験をすることの意味は、
魂の向上(成長)が目的です。
そしてもうひとつの目的は、
「執着から脱すること」
でもあります。
これは魂の成長のもう一つ上の段階になります。
人は経験と出会いを山ほど繰り返すと、執着やこだわりをどんどん手放せるようになります。
たくさんの経験をし、たくさんの人に会うと、
自分が絶対だと思っていたことが、実は違ってたということに気づいたりします。
今まで絶対こう!と思っていた価値観が、ガラガラっと崩れる体験をたくさんするんです。
とくに人との出会いが多く、関わる人が良質であれば、その成長は早いです。
自分が絶対正しいと思っていたことと、全然違う発想、違う見方をする人と出会って、
それを聞いていると、その見方や発想もまた正しいな、と思えるという・・・・
一言でいえば、見識や視野がどーんと広がるんです。
すると、これまでの自分は、小さい小さい視野の中で決めつけていたこと、
また、どうでもいいことにこだわっていたことなどに気がつくんです。
こういう体験をしていくと、
最終的には世の中に「絶対に正しいもの」なんて何ひとつない、
ということがわかってきます。
正しいという価値基準は、実は自分が強くそう信じているだけなんですね。
「正しさ」というのは、見方と立場一つでがらっと変わるんです。
そういう体験を繰り返すと、物事にたいする強いこだわりや、執着心がなくなってきます。
おかしなことをいう人のことも、なるほどねーそういう見方もあるのかもね、と思えて、
いちいち目くじらを立てなくなります。
こうなっていくと、自分の中の執着も自然と解消されて、
生きるのが楽になっていきます。
そうやって年をとって、最後に魂の家(あの世にもそういう場があります)に帰るとき、
この世の執着から脱していると、すーっとあがっていけます。
これがいわゆる成仏するという意味です。
逆に執着があると、そのことがどうしても気がかりであがっていけません。
それが成仏できていない、という状態のことです。
成仏できない人というのは、この世での執着が強すぎるんです。
亡くなってからも現世を徘徊している霊を、浮遊霊(ふゆうれい)とか地縛霊(じばくれい)といいますが、
そうなってしまうのは、現世で手放せない執着が強い霊なんですね。
わかりやすい霊でいうと、お酒が好きで好きで、毎日お酒がないといられない人が亡くなるとします。
そうなると、亡くなってからも「お酒を飲みたい飲みたい」と思うようになります。
(このこと自体がもう執着です)
でも肉体がないので飲めません。
そこで、どうするかというと、生きてる酒飲みで心が弱い人に憑依(ひょうい=とりつく)します。
酒飲みでメンタルが弱い人は、飲むと目が座って、怖い顔になります。
別人みたいに見えたりしますが、あれは憑依されているからです。
さまよってる酒好きの霊が、人間の体を借りて
ガンガン飲んで、暴れたりして周囲に迷惑をかけます。
そして当の本人は、翌日は何も覚えていません。
なぜって、昨日飲んでいたのは、憑依した霊だからです。
もう一つ別のパターンいきます。
例えば、セックスが好きで好きでたまらなかった人が死んだとします。
自分はまだまだもっともっとセックスしたかった!と思ったらどうなるかしりたいですか?(笑)
ラブホ街にいる、したくてしたくてたまらない人に憑依するんですね。
さっきの酒飲み霊と同じく、他人の体を借りて欲望を満たすわけです。
ですからラブホ街には、浮遊霊がたくさんいます。
霊的に受信しやすい人は気をつけましょう(笑)
執着があると、そんな感じで、もうこの世の人生は終わってるのに、
いつまでも彷徨って、欲望を満たそうとしてしまうということです。
だから一番良いのは、したいことは肉体があるうちに思存分体験して、
執着を手放す生きかたをすればいいんです。
(自分の体験のために他人を傷つけたら、それ相応のことは返ってきますよもちろんね)
最後は、あ〜〜!!むっちゃ楽しかったな!!たいがいやりたいことやったな!と思えれば、
執着が薄いので、すうっとあがっていけます。
では、執着が強すぎて上がっていけない人はどうなるのか?
執着をなくす以外に、どう生きたら天国にいけるのか?
その辺の話は、長くなるので
無料説明会で話してます。
神楽祝会(かみたのかい)でも話しています。
スピリチュアルな知識は、知っていたら人生が豊かになりますよ。
最後を知ることは、今を充実させることです。
ゴールがどこにあるのかわかっているから、マラソンは楽しんです。
自分の人生の最後がどうなるか知っていると、今が楽しくなるんですよ。