1. ブログ
  2. 新時代・トリニティ
  3. 永遠なんてない
 

永遠なんてない

2019/03/04
永遠なんてない

先日、トリニティブックについて少し書きました。

 

ここで、私が「神との共同創造」

 

という言葉に魅かれる理由について

 

少し書いてみたいと思います。

 

例えば恋愛。

 

私はたおやかLOVEセオリー

 

インスピレーションで授かって

 

そのおかげで、男性心理や恋愛法則を知りました。

(そこに至るまでは、様々な先生や本からも

もちろん学ばせて頂きながら)

 

ですから恋愛を成就させることや、

 

好きな人から愛されることは、

 

手に入れることが可能になりました。

 

現状に、大変満足しています。

 

でもね。思うんですよ。

 

じゃあ、その好きな人は、

 

これから先もずーーーーっと未来永劫

 

自分を好きでいてくれるという保証はあるのか?と。

 

はたまた、自分もこれから先ずーーーーーと未来永劫

 

その人を愛し続けるという保証はあるのか?と。

 

答えはカンタン!

 

そんな保証はどこにもない。チーン!(笑)

 

それはたとえ結婚という法律で縛ろうともムリで、

 

昨今、これだけ不倫花盛りな世の中が、

 

結婚というルールなんて、なんの意味もないことを

 

明確に証明してくれている。

 

じゃあ、どんなに愛してくれて、

 

どんなに愛し合った相手と

 

どんな契りを交わしたとしても、

 

それは、一過性でしかないということだよね?

 

そう。すべての恋愛は、一過性である。

 

多くの女性は、結婚さえできれば幸せになる。

 

彼氏さえできて愛されれば、

 

孤独から免れるといったことを夢見て、

 

相手探しをしているけれども、

 

それははっきりいって、ただの幻で、

 

どんな方法を使っても、(相手が)去るときは去るし、

 

いなくなるときはいなくなるし、別れるときは別れるわけ。

 

つまり、どこまでいっても、永遠というものは無い!!

 

この結論に行きつく。

 

では、少し角度を変えて、お金を得たいとか引き寄せしたいとか

 

欲しいものを得たいという欲求はどうかというと、

 

ある程度のところまでくると、

 

引き寄せなんて、そんな難しいことでもなく、

 

けっこうカンタンにできることを知るんです。

(成功者の思考を完コピすればいいだけ)

 

お金を引き寄せるのなんて、本当はそんなに難しくもない。

 

で、どんどん引き寄せればいいだけなんだけれども、

 

それとて、途中ではたと気づくんですよ。

 

あれ???これって・・・・

 

あとは、ただ、同じことを繰り返して、ただ額や規模を、

 

大きくしていくゲームにすぎないんじゃないの?って。

 

こうなるとまるで、空腹じゃないのに、
 
ずっとおいしいものを食べ続ける人
 
みたいになるってことに気づいたりするんです。
 
食事って飢えをしのぐために食べるというのと、
 
美味しいものを食べたいから食べる、
 
という2通りの欲を満たしてると思うんですよね。
 
飢えがしのげた人間が次に思うのは、
 
より美味しいものを食べたいとか、
 
できれば毎日美味しいものを食べたいとか、
 
毎食美味しいものだけを食べたいとか、
 
食べたことのないような、
 
もっと美味しいものを食べたい。
 
とかってなっていくんです。
 
お金もそんな感じで、生活のためにお金を得たら
 
次は、あの欲、この欲と満たしたくなって、
 
そうなると、いやいや足りない、もっと必要!!
 
ってなっていき、その上限なんて際限なく、
 
どこまでも求められるのです。
 
どこまでいっても、きりがないんですね。
 
でも、その生き方をしていると、
 
つまりは、自分の命を、
 
欲を満たすためだけに使ってる人生
 
って話になるよなぁ・・・・
 
ってことにも気づくんです。
 
んでね、お金が増えたことと、心が満たされることは、
 
実はあまり関係なかったんだ!ってことも知ることになる。
 
私は自分で努力することは、
 
苦労だと思わないタイプなので、
 
それが長所になって、
 
欲しいと思ったものを手にいれることが早いのです。
 
なんせ、苦労とも思わず毎日毎日、とにかくコツコツやるから、
 
そりゃあ、いつの日かうまくいきますよね。
 
こんな毎日、アホみたいに、誰に言われたわけでもなく、
 
毎日毎日毎日、ブログの記事を書き続けても、
 
これを苦労だと思わないんです。
 
毎日書いてすごいね、とか言われるときあるのですが、
 
でも、毎日歯磨きしますやん?って思うんです。
 
それと同じです。
 
もちろん最初の頃は、毎日やることも「努力」をしてました。
 
でも、努力をするのが普通になると、
 
それは、どんなことも、歯磨きをするのと同じになるんです。
 
休日の歯磨きと同じで、
 
あーめんどくさいなーと思うことはありますけど、
 
だからって、別にやめないんです。
 
休日もめんどくさいけど、磨くでしょ。
 
努力って習慣にすると、こんな感じになるから
 
そう苦痛にならないんです。
 
そもそも、したくてしてることだから、
 
ガマンとかしてないし。
(だから、魂が喜ぶ仕事をするのが大事って話ですね)
 
つまり、恋愛とか、お金の引き寄せとか、
 
わりと自由自在にできるようになって
 
でも、気づいたことは、
 
結局、永遠なんてない、ということだったり、
 
どんな欲も、求め続けて満たし続けても、
 
100%は満たされないのだ。
 
という結論に至っていくのです。
 
ゴールがなくて、いつもいつもいつも通過点なの。
 
満たして求めて、満たして求めて・・・の繰り返しは終わりがない。
 
いま、恋愛でうまくいかない人は、うまくいかないから私は辛い。
 
うまくいかないから持っていない、不足がある、不満がある。
 
と思うかもしれないよね。
 
でも、それ、得てからも、大して変わらないよ。
 
夢を壊すようで悪いけど。
 
うまくいったらそれなりに満足はするんです。
 
でも、どのみち、永遠がないわけだから、
 
今度は浮気されたらどうしようとか、去られてたらどうしようとか
 
結婚できなかったらどうしようとか、次の苦悩が始まるんです。
 
結婚したらしたで、今度は、
 
旦那がかまってくれないとか、女として見てくれないとか
 
倦怠期がどうとか、子どもがどうとか、
 
旦那の実家がどうとか、また、角度を変えて、
 
同じような不安な気持ちになることが繰り返されていくのです。
 
私はそういう人々を、毎日見てお仕事している。
 
そんな人間模様や、自分の中を見ていったとき、
 
人間というちっぽけな存在の自分の人生には
 
普通に満足していても、
 
魂が100%充足することは、あり得なのだな。
 
ということに気づいてしまうわけですね。
 
そんな頃にトリニティの
 
「神との共同創造」という話が入ってきました。
 
トリニティを知る前に、別のところから、
 
もう新しい時代に入ったので、
 
神と対等につながることができる、
 
というのは聞いていたんです。
 
それと同時に自分の感覚で
 
「あ、もう神棚いらないんだ」ってわかって
(※神棚を否定していません。
みなさんのお宅には置きたければ置いたらいいです。
私には必要ないと思ったのです)
 
神棚を処分したのが同時期だったのですが、
 
もう、私たちにとって神は、拝む存在ではなく、
 
対等に関われる時代だと知り、
 
それはとてもドラマティックだと思ったのと
 
同時に底知れぬ恐怖心を抱きました。
 
神と対等ってことは、私のことが
 
丸裸で試されると、直感したからです。
 
神様を拝んでる間は、ぶらさがって頼ればいいだけだから
 
試すとかないけれど、相手と向き合って対等に関わるということは
 
それがたとえ神だったとしても、いや、神だからこそ、
 
ウソやごまかしは、一切通用しないことがわかるからです。
 
これは心底恐ろしくもあり、また、ドラマティックだと思うのです。
 
神と対等な時代なんて、過去に一度もなかったんですから、
 
こんな時代に生まれたことが、たまたまだとは思えないのです。
 
しかも、今回の人生は全人類すべて、
 
生まれ変わりの最後とのこと。
(今回の人生を最後に、もう生まれ変わりはおしまいらしいです)
 
わたし、60回くらい生まれ変わってるから
 
これ聞く前から、今回の人生は集大成だな、と感じていました。
 
だとしたら、それはどう考えても、
 
(自ら)ピンポイントで選んで来ただろうって。
 
人間の欲を満たす人生は、一生涯、
 
満たしきる、充足しきることは不可能だけど、
 
神との共同創造の1点においてのみ、
 
「100%満たされること」や「永遠」があるかもしれないのです。
 
どんなに求めても手に入れられない永遠が、
 
神との共同創造でなら、手に入るかもしれない。
 
これってもしかして・・・・
 
今回が最後の、魂のフェスティバルなんじゃない?
 
人間のちっぽけな欲を満たすだけの人生に比較したら、
 
そのまだ見たことのない世界は、
 
私にとって、魅力的に見えてしまうのです。
 
男なんて今はいても、いつかいなくなるかもしれませんし(笑)
 
いや、自分だって明日、別の人を好きになる可能性だって
 
あるかもしれない。そんなあてにならないもの、
 
全人生を傾けてもしょうがないし、
 
お金だって同じく全人生を傾けて、
 
欲を満たし続けてもしょうがないな。
 
と思ってしまいます(笑)
 
でも、神という存在は、
 
そんな一過性ものではないはずですし、
 
底のしれない偉大な何かであるだろし、
 
それは同時に自分自身でもあるのかもしれないし。
(私たちは神の一部ということでいえば)
 
何があるのか、どこへ行くのか、まったくわかりませんし、
 
説明だってまったくもってできません。
 
でも、人類が前人未到のことを成せるのなら、
 
やることができたらと憧れているのです。