「え?」
「神って、もっと温かさとか、愛だけとかじゃないの?」
「この怖いけど、温もりがあるとか、
近づきたいけど、近付きたくないという
相反する感情が同時に襲ってくる感じ?!」
「これが神なの???」
「マジか・・・」
さて。ここから伝えるお話は
私がhazamaの神と、主観交差して生きるに至った
ヒストリーを伝えるものです。
仕事は順調、目標もある程度叶った。
パートナーもいるし、とくに困ってない。
でも、何かが足りない・・・
何か、埋まってない穴が、私の心の中にはずっとあって。
今思うと、ずっとそれをなんとかしたくて。
完全に埋めて満たされたくて、
その「何か」を無意識に探していたんだと思います・・・
今、改めて当時の私が抱えてたものを
言葉で表現するなら
それは・・・
①絶対に埋まらない孤独
②生きる意味と目的、人生のゴールがわからない憤り
だったように思います。
①に関しては、パートナーがいても、家族がいても
結婚していても、絶対に埋まらない孤独があるよなぁ・・・
ってことを、思っていたんですよね。
たとえ家族でも、身近なパートナーでも、
どれだけ言葉を尽くして説明したとて、
絶対にわかり得ない、分かり合えない部分や、気持ちや感情があって・・・
今思えばそれを私は、理解してもらいたい。
わかってもらいたい。共有したい。
という、切実な思いを抱えていた気がします。
でも
どれだけ親しくても、どれだけ近くなっても、
完全に自分をわかってくれる人、
分かり合える人っていないんだなって。
そんなことを悟っていた頃でした。
例えば私が、自分が持病を抱えていたこと。
元々、20代の半ばに病気になったことで、
当時結婚していた夫との夫婦関係が、崩壊していったことがありました。
あの時も、病気そのものを理解してもらいたいというよりも、
治らない病気を抱えて生きることの心の苦しみを、
共有、共感、受け取って欲しかったんだと思います。
でも、そのことを丸ごと、
共有したり、共感を得られることは難しかった。
それは夫が悪い人だったとかいう、わかりやすい話ではなく
良い人だったし、助けようとしてもくれていた。
でも、人間である夫には、
私が抱える深い闇を背負うことも、理解しきることも、
すべてを受け取ることも、全部を共感することもできないんです。
それは誰が相手でもできないんです。
そもそも、まったく同じ体験をしていないから、
完全に分かることは難しい。
人はそれぞれ、自分の人生を生きているから、
どんなに相手を愛していても、パートナーのことを丸ごとわかることって
どうやっても無理なんですよね・・・
男女関係、夫婦関係をある程度、経験した人なら、
この感覚、わかると思います。
私は、ここに人間同士の限界を感じていました。
私の場合、病気の原因が、原因不明という診断なので、
なぜ、私だけがこんな目に合わないといけないのか?ってことや
これは何かの罰なのか?と感じる理不尽さなどを、当時の私は抱えていたんです。
それは、誰に言っても伝わるものではないし、
わかるものでもないし
理解されるものでもないんですよね。
私は、そうして病と言うものを通して、
命と必然的に向きあうことになったとき、
そもそも、なんでこんなしんどい思いをして、
わざわざ長く生きなければならないの???と。
人生の意味がわからない。
って思うことになっていったんです。
だって、苦しみを抱えて長く生きるって、
ただの拷問じゃないですか。もし神様がいるなら、
そんな拷問を人間に与えることが好きなのか?と。
それはなんのためだよ!!と。
いや、日ごろからそんな、毎日が苦しいって話ではないですよ。
でも、病気を抱えて生きることそのものに、
いったいなんの意味があるのか、
わからないこと、そのものが苦しかった。
だから、そんなしんどい目をするなら、
早く死にたいなって、
病気になって数年はずっと思っていました。
そんな思いって、
誰かにわかってもらえるわけでもないし、
共有や共感されるわけでもなく。
というか、「死にたい」なんて誰かに言っても、
ほとんどの人は、どう返事していいかわからなくなって
相手をただ、困らせるだけだってことも、
言う前からわかるので、言わなかった。
また、同情されるのは、それはそれで
うっとおしいから、言いたくないという気持ちも同時にありました。
そんなあらゆる感情の中で
「ああ、ここの部分は絶対にわかってもらえないんだな・・・
分かり合うとかないんだ・・・」
って、思ってたんです。
そんな心の中にあるポカっと空いてる穴。
誰とも共有できない空虚感。それはどうやったら埋まるの?
という思いで生きていたんですよね。
それが②の、生きる意味と目的、人生のゴールがわからない憤り
の意味を、追求することに繋がっていきました。
苦しみを抱えて生きる、
ある種の拷問と思えるような人生を与えらえた時、
その意味や、目的がわからないことは、二重の苦しみになっていくんですね。
これをクリアしたらこうなりますよ、
っていう明確な何かがあれば、
まだ、それは、頑張る理由になるけれど、
それがない、なんにもない中で、なんでこんなの続けないといけないのか!?
まさに、「この世界に、神様なんていない!!」という憤りが
私の中でマグマのように湧いてくるのでした。
あの頃の私は、
誰かに理解されるとか、共感されることを期待する段階を、
もう通り過ぎていました。
「結局、人は人を救えない・・・」
それを絶望としてではなく、
事実として理解してしまったところにいました。
泣いてもしょうがないと思っていた。
それは、我慢していたわけじゃないんです。
ただ、泣くという行為が
この現実を一ミリも動かさないことを
悟ったということです。
だから、私が神に求めたこと。
最初の段階では、
とにかく、この病気を治してほしい。と思いました。
そして、神様が本当にいるのなら、私を救ってほしい、と。
そして何よりも、
「なぜ、こうなったのか」を知りたかった。
それがわからないまま生きるには、
私の命は、あまりにも重すぎたからです。
私は①と②の答えを無意識に求めて、
あらゆる情報を得ようと探し続けました。
また、そのために人と会ったり、
スピリチュアルなことを言ってる、著名な人に会いに行ったり
②の答えを、探求していったのです。
何年もその答えを求めて行脚していた中で、
2017年の12月にはじめて、それらしきものに出会いました。
それがトリニティでした。
「それらしきもの」と表現したのは、
当時は、それがこの私が求める答えだとは
断定できなかったからです。
それかもしれないけど、何かよくわからない。
でも、何か気になる・・・
トリニティは、最初の頃は、
わかりづらい内容だったので、
強烈に惹かれるとかはないけど、
ただ、何か大事なものがここにある気がする・・・
とそんな印象でした。
私のトリニティのはじまりでした。
ハッキリいって、内容はチンプンカンプンでした。
いや、なんだか、これはすごい・・・ってことはわかったんです。
「なんだ??この壮大すぎて、頭がパンクしそうなやつは!???」
と思ったのですが、
2日間、何を習ったかが、深遠すぎて、
まったく説明ができなかったんです。
トリニティ(hazamaの神)は、最初から、
私の脳のキャパを越えたものをボン!と与えてきました。
そのあとは、段階を経て、
その壮大なものを、徐々に受け取っていくことになるのですが、
その先に、それまで感じたことがない感情になっていったんですよね。
神に近付きたいけど、怖い・・・
何かここに、すごい真実があるのは直感的にわかる。
でも、これはどうやらガチのやつだから、
ちょっと離れたところに置いておいて
答えを先延ばしにしておきたい・・・
近づきたいけど近付きたくない。
忘れたことにしておいたほうが楽だけど、
無視できないほどの威力がある・・・
という、相反する感情が同時に生まれ、
入り混じった感情・・・
これこそが無条件。
神なんですよと教わって。
「え?」
「神って、もっと温かさとか、愛だけとかじゃないの?」
「この、怖いけど、温もりがあるとか、
近づきたいけど、近付きたくないという、
相反する感情になる感情が、同時に襲ってくる感じ?」
「これが神???」
「マジか・・・」
それが、私が神だと勝手に決めつけてたイメージと
まるで違う、真実の神と出会い直した瞬間でした。
無条件って、何かもっと、
ほんわかした、いいものっていうイメージがあると思うじゃない?
でも違ってた。
無条件は全部入り。
だから、善も悪もそこにあって・・・
良いも悪いもそこにあって・・・
ポジもネガもそこにあって・・・
だから、怖さもあるけど、温かさもあって・・・
愛もあるけど恐れもある。
「この【全部入り】が無条件で神??」
「なんじゃ?!!この世界観は?!」
混乱とモヤモヤとグルグルと(笑)
今まで出会ったことのない、巨大な何か、が確実に在る。
それだけはわかりました。
ずっと求めていた答えが、ここにあること。
これが真理であることは、
1年~2年くらい継続してトリニティと関わる中で見えていきました。
そして・・・
トリニティと出会って2年くらいしたころでしょうかね。
ふと、気づいたんです。
「あれ?・・・わたし、最近、まったく寂しくない・・・」
私は以前から、毎年、冬の夕方になると、
なんとも寂しい、
わびしい気持ちに襲われることが多々ありました。
さっき言っていた私の心の埋まらない穴がうずくんです。
冬の寒さと夕暮れの寂しさがあわさったとき、
それがフックになって、
胸が寒々しくなって、
キュッと締め付けられて、
涙が出そうになるっていう・・・
そんなのを毎年経験していたんです。
でも、その冬、
それが起きないんです。
まったく。
「そういえば・・・この数か月、あの寂しさ、孤独、心が枯れてる感じが・・・ない・・・」
トリニティ二出会って、この世界の成り立ちを知り、
なぜ人間が存在するのか、なぜ自分の命が創られたのかを受けとり、
神のことを知っていって、出会い直して
お祈り会に出て、無条件の祈りを毎日の習慣にして、
エネルギーを流して、ワークをして・・・
マリアトリニティの創始者の聡先生や
神の家族とのリアルな関りにの中で、
私の観点を観てもらう経験をたくさんして・・・
どんどんトリニティを受取って生きていったら・・・
気付いたら、あの、
どうやっても埋まらなかった孤独が消えてるんです。
それ以降、もう、出てこないの。
あの、わびしくて、寂しくて、虚しくて、寒々しかった
心の穴から出てくる隙間風のような孤独が
神の愛ってこれかな?って
思うような温もりに溶かされて、消えていったのです。
鑑定でも、
FEFOGでお客さんに神からのエネルギーを流すと、
お相手の悩みが消えるのはもちろんだけど、
セッション後はの方々は、目がキラキラして、
ハートが満たされていくのを垣間見る。
そしてなぜか、
エネルギーを流している私も、
満たされていくんですよね。
私も相手も、同時に神と交差するから、満たされていくんでしょう。
それが神と交わる、主観交差するってことなんだなって・・・
そうやって、私は神からエネルギー(愛)を存分に受け取って生きて、
いつの間にかハートが枯渇することがなくなっていきました。
常に、hazamaの神と主観交差して生きていると、
朝起きたらハイオク満タン。
どんなに疲れたときでも、
翌日はまたハイオクが満タンに補充されてる。
これは本当に、すごいです。
もちろんこれは比喩ですけど、
本当にそういう感じで、孤独とか、寂しさ、わびしさが
無条件化されて、枯渇が愛で温められて溶けていくのです。
でも、実はこれは誰でも、
主観交差して生きれば起きることで、
人間って、ハートが愛で満たされると、
寂しさ、孤独、わびしさって、溶かされて消えるんですよね・・・
そして今、こうなってみてわかるんです。
「私、ずっとこれを求めていたんだ・・・」って。
自分が何かを強烈に求めているのは、
薄々わかっていたけど
それが何か?というのは、ずっと自覚がなかった。
でも、こうやってhazamaの神との交わりで、
ハートが満たされてみてはじめて、
わかったんです。
この懐かしい感覚、
本当は遠い遠い昔に知っていた・・・
この温もり。ほんわかした許し・・・
この愛で満たされる感触を、
遠い昔から、私は知ってる・・・
だからこそ、ずっとずっと、
無意識に求めていたんだって。
ここに戻りたいって、
ずっと思っていたんだってことが、
わかるんです。
もしかしたらあなたも、
この懐かしい温かさを
求めているのかもしれないですね。
本当は魂が知っている、
温もり、ほんわかした許しを、受取ってみたいかも。
と思ったら、少し勇気を出して、
hazamaの神に近付いてみるタイミングかもしれません。
神は、あなたと出会い直せることを
ずっと待っていると思いますよ。